自ら育つ力とは何か?

早稲田大学 競走部駅伝監督 渡辺康幸氏

平成21年5月19日(火)本年第2回目のヒューマンキャピタル勉強会を開催しました。
講師として、早稲田大学競走部駅伝監督の渡辺康幸氏をお招きしました。
日本人のメンタリティーに合うのか、マラソンも駅伝もTV放映では高い視聴率を残します。
そんな駅伝の世界で、伝説となる活躍をしたのが講師の渡辺監督です。
昨年12月出版されました「自ら育つ力」の内容を踏まえ、お話いただきました。
当日の講演内容を報告いたします。

■ 講 演

【プロフィール~小出監督~瀬古監督との出会い~引退】

 皆さんこんにちは。早稲田大学競走部駅伝チームの監督をしています渡辺です。
 最初に、私の現役時代のお話から始めさせていただきます。私は中学校陸上部では泣かず飛ばずで、高校受験を考えていました。その当時、千葉県の市立船橋高校駅伝部は優勝をしているのですが、そこの男子部を率いていたのが、Qちゃん(高橋尚子選手)を育てた小出監督だったんです。その小出監督が、実績も何もない無名の選手だった私の走りをみて、「いい走りしているねえ」っと声を掛けてくれたのです。自信もなく一度お断りをしたのですが「一緒に市船でやろう!」との言葉に心動かされ、一般受験で市立船橋に入学しました。そして、名監督の指導の元で、無名の私が2年後に全国チャンピオンになってしまうわけです。小出監督の指導というのは、とにかく褒めて育てるというもの。短所は一切選手に言いません。短所になるような事も、長所に置き換えて褒めてくれます。人間というのは褒められると楽しくなるもので、先生にもっと褒められたくて練習に励むようになりました。入学後2年目で国体のチャンピオン、3年目で国体・インターハイ・ジュニア選抜と全部のタイトルを取る訳です。そして進学を考える時に、早稲田大学は低迷から強くなっていく過程で、瀬古利彦さんがコーチで早稲田大学に来ていました。今の早稲田大学の推薦枠は面接だけですが、その当時は評定平均や試験もあり、なんとか早稲田大学に入りました。そこで箱根駅伝の第69回大会から72回大会まで走らせて頂き、69回大会に華の2区を走り10年ぶりに総合優勝を成し遂げました。70回、71回大会は往路優勝でした。残念ながら復路は山梨学院に敗れ、私自身は区間賞・区間新なども取りましたが、最後の年は中央大学が30年ぶりに優勝となりました。大学を卒業して実業団入りする訳ですが、私が大学3年時に瀬古さんがS&B食品の監督に戻られ、瀬古さんの誘いもありS&B食品に入りました。S&Bではメダルの期待をされオリンピック候補になったのですが、故障が続き実績はオリンピック候補止まりとなりました。多少悔いは残るのですが、29歳という若さで引退を決意しました。

【29歳~指導者として~指導法・スカウト】

 長距離というのは35歳くらいまでは出来るのですが、引退を決意したのは故障続きで「向上心」が無くなってしまったというのが最大の理由です。ただ、今監督としてあの時の挫折が大変役に立つことも事実です。引退の2年後2004年に伝統ある早稲田の監督を引き受けました。私が卒業した後早稲田はずっと低迷していまして、箱根駅伝では20校中、だいたい15、16位あたりで、テレビ中継では3号車と呼ばれ、ほとんど映りません。実は当時29歳で引退して選手としての実績もあったので、他の大学や実業団からも指導者としてのお誘いを結構頂きました。でも「自分の母校でやりたい!」という強い思いもあり決意しました。ただ、周囲からは「今やったら貧乏くじだ」というアドバイスも結構ありました。
 実際監督を受けるとき、いくつかの条件を大学側にのんでもらい決断しました。それは、まず「1、2年で優勝争いは難しいので4年間欲しいこと」。練習環境の整備として「強化費(合宿所、栄養士、グランドの整備、名参謀となるコーチ等の採用)の予算確保」。そしてなによりも良い素材(期待できる選手)を取れる環境。具体的には、推薦枠をいただき、スカウトで私の目に留まった選手をとる環境、など無理を承知で大学にお願いしました。
 いろいろ苦労もありましたが、昨年12年ぶりの往路優勝、総合2位というところまできました。今年もライバル駒大の脱落がありましたが、東洋大に首位をさらわれ2位となりました。あとは残すところ皆さんの期待どおりの総合優勝しかないですね。
 そんな中、個人的にもうれしいのは、北京オリンピックに現役で出場した竹澤の活躍です。実は、私は当時報徳学園の竹澤ではなく、佐久長聖高校の別な選手を狙っていました。その選手にふられたとき、竹澤が「早稲田の渡辺監督のところで箱根を目指したい」と逆指名してくれたのです。監督の仕事とは、自分の過去の栄光は何の意味もありません。実績を残す選手を「育ててなんんぼ」のものです。大学生でオリンピック出場は早稲田の竹澤が始めてです。そんな意味で私は「運」に恵まれています。結果論として彼の活躍が、早稲田の復活の原動力になるのですが、竹澤を取りにいかなかった、私の選手を見抜く目も怪しいものかもしれません。(笑)

【自ら育つ力】

 私も監督経験としてはまだまだ若手ですし、もっと実績をつまなければいけないと考えています。そろそろ育成方法を確立したいという意味合いもあり、今回の本の出版になりました。指導法は、選手一人一
人に見合った目標を立て、それがクリア出来なかったらペナルティを課すシンプルなものです。夢と目標は違うわけです。目標の遥か上が夢なんです。夢じゃない「目標」も「ペナルティ」も自分で決めさせる。無理
めの目標を立てる子、自分の力を分かって目標を立てる子、保険の目標を立てる子の3パターンありますが、自分の力を分かって目標を立てる子が強くなります。ちなみに小出監督は一人一人にあった練習メニューを考えてくれます。瀬古監督は自分自身のしてきた練習をそのままやりなさい、という指導で真反対でした。名選手が名監督になれないとよく言われます。自分の目線が高いからと最近分かりました。私は選手を怒りません。これは私の性格からくるものかもしれません。その代わり、コーチが大変厳しく選手を管理してくれています。これでバランスがとれていると考えています。
 私は瀬古さんを勿論尊敬しています。しかし、こと指導方法を考えると、小出監督方式を引き継ごうと思います。瀬古さんも私も過去の栄光や練習量を考えると、まだまだ実績がない選手たちに我々がやった練習量以上を自然に望んでしまいます。これを今の選手にかせると、すぐに故障につながります。ですから、今自分が気をつけているのは、選手の練習量は「腹八分目以下」という事です。指導者は、やらせる事で自分自身が安心しますが、現代の若い子にあった指導が必要です。
 大事なことは、本のタイトルにもありますように、「自ら育つ力」を持たせることです。自分で考え行動させることです。
 竹澤や、やはり良い選手は、自分で考え自ら行動できます。私はこれからも、この指導方式で、もっともっと多くの実績を残す選手を育てていきます。正月の箱根駅伝是非応援して下さい。本日はご静聴ありがとうございました。

インサイト No.21
2009年9月18日

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