『社員の心のケアを考える』

株式会社Cocoro fit 代表取締役 竹原 義人 氏

 さる2019年12月4日お客様向け講演会を開催致しました。
講師には、株式会社Cocoro fit 代表の竹原義人氏に登壇頂きました。竹原さんは、大学卒業後入社した会社でのあまりのハードワークがたたり、本来の自分を見失い重度のうつ病を患います。
その期間は6年半。医師から大量の薬を処方されるが効果なく、2年間の休職。離婚も経験され、壮絶な人生を歩まれてきました。
 今回の講演会では、そんな竹原さんの人生を大きく変えてくれた人との出会いにスポットをあてお話頂きました。講演会の要約をレポート致します。

■ 講 演

【はじめに】

 今日皆さんにお話することは、私自信が6年半の壮絶なうつ病を克服した経験です。
 私の病気は、大学を卒業して就職した会社でなってしまったのですが、今考えると要因は幼少期にあったと思います。私は1973年に飛騨高山に生まれ、年子の弟がいました。物心がついたころには、親の愛情は弟に注がれ、私には「お兄ちゃんだから我慢しなさい」「人には迷惑かけちゃいけないよ」と、ずっと言われ続けていました。親の言うとおりにすれば、愛情が自分にももらえると思い、中学・高校までは自分の意に反しても頑張りました。
 ただ、私の心の限界が訪れます。

【親への反抗心から就職】

 親の行けという大学に入り、一人住まいができるようになり反抗期がきました。髪の毛を染めて、家へも寄り付きません。そして就職、となるんですが、ここで最後の復讐です。親はずっといい企業に入れと言っていたので、逆に「ここまで育てたのにこんな会社に就職するのか、親不孝者め!」という言葉を聞いてやりたいと思い、私はパチンコ屋に就職します。
 でも、それでどうすんの?って話しです。親もどうせそんな会社すぐ辞めるだろうって言う。そう言われると逆に絶対辞めないって思いました。反骨心ですね。そうすると自分の選んだ道を正当化しなきゃいけない。当時のパチンコ屋の店長はベンツに乗ったりしてたんで、せっかくパチンコ屋に就職したんだから金持ちになるチャンスだと思いました。そこから無茶苦茶仕事をしました。
 親の年収を超えたら親よりもすごいって認めてもらえるとも思いました。だからお金に執着をし、その会社の最短の出世記録で、これは今でも抜かされていないんですけれども、入社して4ヶ月で管理職になって貢献。売上2兆円企業に飛躍するまでずっとプロジェクトリーダーもしておりました。
 でもこれはずっと親に反抗しての生き方、親に認めてもらうための生き方だったんです。自分が本当に心で望んでいる生き方ではないんです。親に復讐したいなんて本当は思っていなかった。親に愛されたいというのが本心なんです。心が望んでいないゴールを設定して全速力でその間違ったゴールに進んでいきました。
 朝から晩まで働いて世の中のサラリーマンの中では大分稼がせていただいて結婚もしたんですが、本心とは違うゴールにがむしゃらに全速力で向かっていったので、どこかでぽっかーんと穴があくんです。だんだん円形脱毛症が出来て、それが1つ2つ3つと増えていきました。でも管理職でしたのでそれを隠して仕事にいく毎日。さらに車を運転すると3日に1回の頻度でどこかにぶつけてしまうようになってきて眩暈もするようになってきました。
 心が疲弊しているときに妻にこう言われました。「あなたと一緒にいるのはお金だから。あなたは子どもが幼稚園でいじめられていることも知らないでしょう?あなたは旦那失格。父親としても失格」家族のために一生懸命頑張っていたのになんでこうなるの?って思いました。もう訳が分からなくなってどんどん落ち込んでいきます。あなたといるのはお金だけって言うんだったら、もっとお金をいっぱい稼いでやろう、僕には仕事しかない、そう思ってまた一生懸命頑張りました。

【そしてうつ病に】

 やがて私は大阪の地下鉄なんば駅のホームで気絶して倒れます。家のベットで気が付くと視界がグレーだったんです。色がないんです。なんだかおかしい。会社に行きたくない。何もかも捨てたい。そんなやる気のない感覚が全身を覆いました。まさにそれがうつ病の地獄の始まりで、その日から2年間病院のベッドの上の生活になりました。重度という状態です。五感のうちの四感を失い視界はずっとグレーなんです。味覚もなくて何を食べても味がしない、何を飲んでも水を飲んでるような感覚でした。3ヶ月で35キロ痩せました。
 うつ病の正体は愛の欠乏です。受け入れてもらいたい、愛されたいということ。これは他者からの愛もありますけれども自分への愛も含まれます。自分を好きかどうか、自分を認められるかどうか。うつ病になりやすい人はどういう人かというと、自己否定をし続ける人です。もう一つは他人の価値観で生き続けるとうつ病になりやすいんです。私はこの2つを35年以上かけて思いっきりやってしまいました。
 ベットで寝たきりの父親は、子どもと遊んでやることもできません。ただ「ごめんな。ごめんな」と謝ることしかできませんでした。うつ病というのは中々理解されないんです。当時、妻も心配していたかもしれないんですけれど、檄を飛ばすつもりで「あなたしっかりしてよ。がんばってよ」と言ってくれたんですが、その励ましもしんどかった。しっかりできない自分を責め始めて、妻とはもう一緒にいない方がいいなと思いました。子どもにも別の父親の方がふさわしいんだとも思いました。
 そしていよいよ自殺を考え始めました。今はもうなくなっていますがインターネットに当時あった自殺サイトに登録したりして毎日死ぬことばかり考えていました。何度か実行に移しました。今でこそこうやってみなさんの前で、お話できているのですから、失敗したんです。(笑)

【経験者に会いに行く】

 でもあるとき、子どもが幼稚園でいじめられているという妻の言葉を思い出して、このまま自殺したらますます子どもがいじめられてしまうのではないかと思いました。
 それで元うつ病の人に会いに行くということを決断します。五感のうち四感を失って毎日めまいがして薬も毎日41錠飲んでそれでも治らない状態だったので、治った人はどうやって治ったんだろうと思ったんです。ある意味自殺を思い留まるアドバイスも聞きたい、という目的もありました。
 そこで元うつ病の経営者で居酒屋てっぺんの大嶋啓介という男に会いに行きました。以前少し付き合いがあったんですが、確か彼は24歳くらいのときにうつ病だったなと思いだして彼に会いに行きました。大嶋さんに「死にたい」と話したら「僕は何も答えられないから、命の時間にまだ余裕があるなら今から言う3人にまず会ってみて」と言われたんです。この3人が私の人生を変えくれたと言っても過言ではありません。
 今でも会いに行ったときの映像が強烈に残っている2名のエピソードをお話します。
 1人目が元芸人のてんつくマンという男です。彼が強烈なアプローチをしてきて人生が変わり始めました。彼のセミナーに行ったんですが、セミナーが終わった後にてんつくマンのところに行って「今日はありがとうございました。大嶋啓介という男にあなたに会いに行けと言われまして今日は会いに来たんです。ありがとうございました」そう言って帰ろうとした瞬間に胸ぐらをグワッと掴まれ、「おまえの心が言いたいのはそんなんちゃうやろ!」と会場全体に響きわたる位の大声で言われました。もうびっくりです。その瞬間に涙があふれて「死にたいんです」ってぽろりと言っちゃったんです。そうしたら彼は何と「おめでとう!」って言うんです。意味わからないですよね。続けて「おまえの死にたいっていう夢な、焦らんでも叶うわ。おめでとう」って言ったんです。焦らんでもいつでも叶う、確かにそうだなと。それからすかさず「他にどんな夢を叶えたいねん」って言ったんです。「今すぐ死にたいんやろ?じゃあ今日が最後の晩餐や。何食べたいねん?」あまりにも唐突で混乱した私は「カレーライス好きだから…」と言うと「おめでとう!今すぐココイチ行けや!これで2つ夢叶ったわ。他にどんな夢叶えたいねん」混乱する私に「じゃあ次会うまでにあと10個夢考えといてや。何でもええねん。椅子に座りたい、空気吸いたい、お茶飲みたい、何でもええねん。できるやろ?約束やで!」そう言われて約束してしまったんです。これで彼にまた会うまで死ねなくなったんです。半年先彼と会って「夢10個考えてきましたー!」と言ったら「俺そんなん言うたっけ?」って返事です。適当だなーと思ったんですけれども「世の中適当でいいんやで」という話もしてくれました。適当というのは自分が適した状態ですね。それでいいんだということです。世の中頑張るだけの生き方じゃない、楽しみにフォーカスしたときにいろんなものが見えてくる、ということを教えてくれたのがてんつくマンでした。
 2人目の福島正伸先生も衝撃でした。福島先生のセミナーに参加して挨拶しに行こうと思ったら本にサインを書いてもらう人で行列待ち。それで本を買って並びました。僕の番が来て「大嶋啓介から言われて会いに来ました。命をあきらめようと思っていましたが(てんつくマンとのことがあって)少し迷っています」と言う話をしたら、いきなり「チャーンス!」って言うんです。「チャンスだよ!チャンスって言ったらチャンスなんだよ。この意味が、生きてたら分かるよ」って言うんです。私は意味が分からなくて2冊目を買ってまた行列に並びました。また順番がきて「もう少し長めにメッセージもらってもいいですか?」と言ったら「私はね、君がこの世界を変えることを知っている。以上」もう余計意味がわからないので3冊目買ってもう一回並んだんです。「同じ本を3冊買ったの君だけだよ」と言われまして「いいか、今人の痛みをいっぱい味わってるだろ?その痛みを知っている人が世界を変えられないわけがない。だから今もっと味わえ」って。もうびっくりして「なんでもっと味わえなんですか?」と聞くと「人生で一番苦しんだことや悩んだこと、これが解決されたとき大きなノウハウになる。世の中を救うような価値のあるノウハウになるんだよ。君が世界を変える。だから大きな価値になる種をいっぱい味わえ」って教えてくれたんです。そして「今行き詰っているということは過去のやり方や考え方が通じないということ。別のことをやれということ。今までと同じ思考じゃダメということ。これは後になったらわかる」と教えてくれました。

【まとめ】

 私はこんなたくさんのみなさん前で、今私の話を聞いて頂けてます。本当に幸せです。
 福島さんが言ってくれた通り生きてて良かった。人生を変えてくれた3人の方はもちろん、幼少期は憎んでいた父親や家族に今は素直に感謝する気持ちで一杯です。
 一時期はあってはならいのですが、真剣に自殺も考えました。医者に言われるよう大量の薬も毎日飲んでいました。
 結果論かもしれませんが、私がうつ病から回復できたのは全て人との出会いだったんです。その人達がみなさん私に本気で向き合ってくれました。腫れ物にさわるような態度ではなく、心にストレートに飛び込んできてくれた。だから号泣もしたし、心が少しずつ開放に向かって進み出したと思います。
 今は逆に、多くの方の悩みに耳を傾ける仕事をしています。私の経験から言えることは、「大丈夫ですよ、私も含めてみんながいてくれますから」、という寄り添って接してあげる気持ちが大切だと思います。

インサイト No.61
2020年3月20日

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