第47回 反論したがるベトナム人

ベトナム人から見ると、日本人はよく「ごまをする」ように感じるようで、ベトナム語では「Thao Mai(タオマイ)」といいます。なぜそう感じるかというと、日本人は基本的に相手の意見に賛同し、滅多に反対しないからだそうです。日本人同士では相手に対するそういった姿勢はコミュニケーションにおけるマナーの一部であり、恐らく特別意識している訳ではないだろうと思います。ところが、ベトナム人同士では平気で反対意見を言い合うので、日本人の行動パターンは珍しく感じてしまうのです。

思えば私もよく部下に反論されています(笑)
業務上の課題が発生した際に、議論するつもりで「こうしたらどうでしょう?」と提案すると、「いや、それはこうなのでできませんよ」、と平気で一蹴されます。上司部下という指示命令系統、業務の熟練度の違い、年齢の違いは関係なく、対等に意見を言ってくるのです。頭に血がのぼりそうになる時もありますが、もっと上手いコミュニケーション方法はないものかと、これまでいろいろな形で指導を行ってきました。

まずは次のように話してみました。
「上司部下の関係で考えると、上司は業務上の責任を負うので、仕事というのは基本的に上司に従うのが大前提です。もちろん、上司は神様ではないので100%正しくないとしても、意見の違いがある際に確率論的に50%以上は正しいと考えると、まずは一旦上司の意見を受け入れるのが筋ではないですか?それから、組織というのは上司を応援し、上司が出世すれば自分も出世できるものなので、議論するからと言って、敵対意識で臨むのではなく、相手の意見を認めた上で仲間として意見を補完する意識を持ちましょう。」といった具合で、機会があるたびに口を酸っぱくして話していたら、皆がわかったというように頷いてくれたので、私も安心しました。

しかし、どうも望んだ効果には程遠かったようです。このことで、社員は2つのグループに分かれたように思います。1つは、頭では分かっていても、つい反論を口にしてしまう改善が見られないグループ。もう1つは、この上司は賛同してくれる部下を求めていて、会社のことを考えて敢えて反論している我々のことを嫌っているはずだとネガティブに捉えているグループです。状態が改善されるどころか、むしろ悪化してしまいました。

そこからさらに調べたり考えたりするうちに、「反論というのは人間にとって自然な反応で、ある意味では本能そのもので、生きるための力と言ってもよいかもしれない」、と思うようになりました。というのは、原始時代に生きた我々の祖先は、すべてにおいて否定の目を光らせないと生命を脅かすようなリスクから身を守れなかったからです。ですので、そういうすぐに反論しがちな生命力の強い人たちに「反論しないで従え」と命令するのは無理がありますし、考えの相違を察知するスピードもすごいものを持っているので、ゆっくり考えて賛同してほしいと言っても到底無理であることがわかります。どうしようかと困ったものです(笑)

最終的にはそういうすぐに反論を口にしてしまう社員は、実は行動力のある社員なので、「反対してもよいが、代案を1つ以上用意してから反論してください」、という課題を与えるようにしました。言い換えると「代案がなければ、反論はやめましょうね」と。
これで社員がすぐに代案を考えてくれるかというとそうはいきません。それまで考えないで、直感で反論ばかりしてきたので、レベルの高い思考力を養うことはすぐにはできないであろうことは容易に考えられます。しかし、この方針のおかげで不満を抱えながら指示に従うということはなくなり、徐々にではありますが、「考える」という習慣が出来てきたように思います。

全員が考える組織づくりの参考になれば嬉しいです。