第45回 意図のない発言
日本語が少し分かるスタッフにランチ時「ご飯食べましたか?」と質問されることはたまにありませんか?誘ってくれるのかと期待して、まだですよと応えたら、「そうですか」とだけ、あっさりと会話が終わってしまいます。そのうちにそれは深い意図があるわけではなく、単なる挨拶代わりだということが分かってきますが、私としてはなんだか理解できません。
注意深く見ているとご飯のことだけではなく、仕事上でも意図のない、どうでもよいような発言は若いスタッフほどかなり多いように思います。例えば、
上司: | 昨日の売り上げはどのぐらいある? |
部下: | 何人かお客さんがいまして、一所懸命案内したが、あまり買ってくれなかったです。 |
上司: | だから、どのぐらいと聞いているんだ。 |
部下: | ゼロでした。(上司が沈黙している中で)昨日までの出張はいかがでしたか? |
上司: | 私の出張は君には関係ない。売り上げ、どうしたらいいか聞かせてくれ。 |
このような会話は決して珍しくありません。
コミュニケーションというのは自分の伝えたいメッセージと相手の聞きたいことが同一であって、初めて成り立ちますので、上記のような意図のない発言はコミュニケーション以前に、発言する本人が伝えたい、あるいは聞きたい内容でもないように思います。単なる沈黙をブレイクしたいから、発言するのではないでしょうか。
沈黙と言ったら、日本はかなり静かな国ですね。私の親が最初に来日した際に感激したのはこの静かさです。ベトナムだと、外ではバイクや車の音、家の中では家族の雑然とした会話、親兄弟の音楽、そして、お隣のカラオケとかなり騒音の多い環境に気づきます。日本人は静かさの中で落ち着き、ベトナム人は恐らく雑音の中で落ち着くではないかと思われます。なので、沈黙よりも、つい、どうでもいいような意図のない発言をしてしまうわけです。
人間の成長プロセスには深い思考はとても大事ですが、深い思考をすることなく、浅い発言をしてしまうのはどうしてでしょうか?私はベトナムの教育システムと家庭環境に原因があると思っています。考えさせない教育スタイルと親の権力で子供を従わせるからです。考えさせられないため、浅い思考のままでよいわけで、親に恐怖を覚えている子供は沈黙を恐れて、浅い思考しかできません。
ビジネス場面では当然ながら、社員の家庭環境まで介入できないので、より良い社員を選ぶしかありません。良い思考を持っている社員は私は学歴で判断します。良い学歴を持つと、それだけで自信につながり、沈黙を恐れない可能性が高い、また、良い学歴というのは学習過程において考えさせられたので、平均以上の思考力を持っている可能性が高いと言えるわけです。時々、自信を持ち過ぎる子は上長の発言を待たないで、口をはさむ癖も直さないといけないが、それでも学歴の良い社員はおすすめです。