第40回 質問のなさ
「第5回 意見は今、ありません。」では、「なぜスタッフからあまりにも意見が上がってこないのか」について考えました。簡単に言うと考えていないから意見を言えないわけですが、突き詰めて考えると、「思考に必要不可欠である質問力が弱いから」思考力そのものも弱くなると分析しています。
みなさんの職場で、よく質問し、物事をしっかりと捉えようとする、いわゆる賢い社員はどれほどいますか?
平均して見ると日本人社員と比較して、ベトナム人社員はあまり質問してこないように思います。(個人差の強い比較論であり、当てはまらない職場もあると思います。)その理由として、質問する習慣そのものが家庭内または学校で育成されてこなかったからではないかと私は思っています。
私の実家もそうでしたが、ほとんどのベトナムの家庭において、親から子供に対しての会話は断定口調や命令口調が多いように思います。「何を食べたいの?」、「どうしたいの?」、「どう感じているの?」、というような質問はほとんど記憶にありません。一方で、「勉強しなさい!」、「(大学卒業まで)恋愛してはいけない!」、がよく言われるセリフで、夢に出てくることもしばしばありました。学校も家庭の延長のようなもので、先生の教えが絶対的で、異議を唱えると変な子供として仲間外れにされます。先生もあえて、子供がどう思うかいちいち聞きません。暗記力があり、従順な子こそが先生たちに好かれ、よい成績を修め、両親の自慢の子供となります。そのため、静かで質問の少ない子が多くなります。
そうやって育った質問しない社員をもつ日本人は、どのようにアクションを取るのでしょうか?
世話好きな日本人、あるいは相手を困らせたくない日本人はどんどん手を差し伸ばして、喜んで手助けするわけです。しかし、その過程で、ローカルスタッフは自ら質問して業務改善しなくても、業務指導は日本人がやってくれると気づき、自分で考えてリスクを取るぐらいなら、あえて考えないで日本人の指示のもと、忠実に動けばよいと考えるようになります。主体性が低下する一途になります。
質問力または思考力を鍛えるためには、こちらから質問を投げていくしかないと思います。
最初は何を質問しても、びっくりして「責められるのではないか」と思っているようで、答えは言い訳から入ります。数カ月経過すると、やっと言い訳がなくなり、答えを先に言ってくれます。それから、仕事のターゲットを設定して、追及することにします。なるべくシンプルで、毎日成果を上げられるような目標にすることで、毎日質問できるようになります。これを半年ぐらい続けて、少しずつ成果が出始めると、自信がつき自分なりの意見も少しずつ言えるようになります。もっと意欲の高いスタッフだと、言われるぐらいなら、先にやってしまおうと考え、一変して、とてもパフォーマンスの高い人材になります。
弊社のベトナム人スタッフの成長はこんな感じです。全くもって、近道がありません。
一方で、質問する側にも、コツがあります。自分(管理者)がわかっていることを、あえて機械的に質問して、相手を追い込んだり、相手を馬鹿にしたりするのはタブーです。(自己反省になりますが、私も過去には少なからずこの傾向がありました。)「自分の立ち位置だからわかることなのかもしれない。どうしても相手(部下)の立場ではわからないことなので、質問させてもらっている。その上で、一緒に問題解決する。」このぐらいの姿勢が必要だと思います。
次回は、信頼関係の構築について考えたいと思います。