第16回 関心ないので、調べませんが、関心のあることは調べています。

弊社の若いスタッフは驚くほど分かっていないことが多いです。社員旅行時に、ピーチリゾート泊まっているときに、なぜ昼間は風が沖から来ているの?と聞いてみてもほとんど分かっていませんでした。それだけではなく、日常の生活でも常識と思うようなことでも分かっていないことが多いのです。しかし、違和感を感じているのは分かっていないことだと気づいても調べるアクションが全くありません。スマートフォンを持っているので、検索さえすれば分かるのに、何もしないのです。

私が仕事し始めたのは2004年、最初に手にしたスマートフォンはブラックベリーで2007年でした。仕事のツールとしてのスマートフォンだったので、専らメールチェックと調べものに使用しました。クライアントと会話して、分からない単語や概念があれば、その場で聞く。お互い分からないデータ(例えば、世界の電気価格ランキングなど)があれば、その場でスマートフォンで即調べました。とにかく調べまくります。いまや、スマートフォンがエンターテインメント化していて、フェースブックやユーチューブを閲覧しているが、調べものをしない若い人が多いのではないかと思います。

そこで、なぜ、調べものをしていないかということについて、スタッフに直撃してみました。すると、私は関心がないので、調べていませんが、関心のあることは調べていますよという。なるほど!じゃ、たまたま分かっていないだけで、分かっていることはちゃんと分かっているんだねと半ば納得しました。が、何を分かっているかとそのスタッフとの今までの会話を振り替えてみると、他人から聞いたことや噂話など単なるお節介話であり、知識らしい知識ではないのに気づきました。関心のあることは調べるということは、関心がなかったら、まったく調べていない結果になっていないか?

調べるという行動に対して、もう少し、細かくみることにします。
会話の中や、読み物などで知らないことが出てきたときに、おそらく、知識上の盲点ができて、脳裏にある種のストレスが発生しているはずです。その時に、二種類の行動が考えられます。一つはすぐ調べることによって、ストレスから解放され、理解できた!というすっきりとした快感を味わう。もう一つは何とか、アクションを取らない理由を見つけ、知らないままの自分を正当化する。「関心がないから調べていないだけ」が確固たる理由なわけです。調べてみたら、意外と面白かったため、さらに調べ、関心が広がる。調べなかったら、次から次へ関心ごとが減り、最終的に何も関心なく、何も分かっていない無邪気な大人になってしまいます。

ここで、ポイントなのは調べる習慣があるかどうかだと思います。調べる習慣があれば、聡明な状態の中で、一つの知識の盲点ができたら、埋める努力をする。一方で、知識の盲点ではなく盲面ほど多い場合、埋めるのが極めて大変なので、努力することすら諦めてしまいます。

ベトナムの学校が教えていないなら、我が社でやるしかありません!!!
弊社では入社して半年は日報を出すのが義務化しています。その中に「本日のキーワード」という記入欄をています。新しく発見したキーワードや概念をここに記入するとともに、その意味もきちんと説明する必要があります。これを6か月続けると、約120キーワードにもなり、業務上で使えるとてもしっかりした知識になります。同時に、知ることへの快感に慣れて、調べる習慣が身につくこと自体が最大の狙いです。

次回は「適性診断で組織を強くする!」について、ご紹介します。