第11回 こだわりのないベトナム人

私が日本留学している1998年頃に、たまたまベトナム中部で大きな台風と洪水に遭い、大変な状態になっていました。ベトナム全国から募金活動が行われ、日本にいた私もベトナムのため何かに貢献したいと思い、当時私が入ったロータリーアクトクラブメンバーに相談してみました。自分の地域で募金しようということになり、さっそく作戦会議が行われました。随分時間も経っているので、詳細は覚えていませんが、延々と続いている作戦会議、誰も帰ろうとしなかったことはよく覚えています。その後、募金箱を作って、その地域のほぼすべてのお店に募金箱を置かせてもらって、最終的に50万円も集められ、私がそれをベトナム領事館を通じて、ベトナムに送金することができました。
※今なら、セルフィ写真を撮って、Facebookにアップしたいところですね笑。

今思えば、当時の長い長い会議というのは何とかベストな成果を出したいという強いこだわりがあるから、そうなっていると分かります。その後、日本で、就職して、「手に誇れる商品を作れ」というようにこだわりを持って、仕事に取り組むことを教わったわけです。時には拘り過ぎてしまうこともある気がしますが、日本という社会そのものはこだわりの塊という見方もありかと思います。

それに対して、弊社のスタッフをはじめとして、一般的なベトナム人はこだわっていないじゃないかと思わせることは多々あります。ミススペルだらけの文書でも、平気で提出する。体裁が整っていない資料を作ったり、質の低いレポートで済ませるなどなどです。そもそも、指摘しても、同じミスを平気に繰り返しているのは自分を高めていくことに対してこだわっていないかもしれません。

実はベトナム語ではこだわりと相応する言葉はありません。言葉がなけれ、概念も生まれないだろうと思います。近い意味として、Ngầu (ガオ)は英語のCool、日本語として、カッコイイぐらいです。つまり、拘ろうではなく、カッコイイことをやろうという言い方になります。そういう意味で、拘りは自分に対しての基準であり、カッコイイは他人の基準に依存するものです。日本人は自分の基準で貫くが、ベトナム人は評価される方でカッコイイ自分でありたいように思います。日本人は部下のよくない点を指摘して、育てるのに対して、ベトナムスタッフは良い点をほめて育てる方が自然でしょうね。

その一例として、弊社ではでは各部署で持ち回り制で月末に懇親パーティーを開催する恒例行事があります。これまで1年近く回してみました。まったく狙っていなかったが、面白いことにだんだんとこだわりが生じてきています。どうも、他部署よりよくしようという思いが生まれているらしく、出す料理、パフォーマンスが創意工夫され、パーティーの楽しさや充実感が回を重ねて、増しています。この一例で大いに学ばせてもらいました。

  • 仕事もパーティーのように楽しくすること
  • どんな作業もなるべくシンプルに反復させる
  • 反復していく中で、前回の良かった点を踏襲し、今回にプラスアルファを実施し、全体を楽しむ

別の観点でみると、上記はPDCAサイクルそのものであり、新しい発見でもなんでもありません。しかし、強調したいのは仕事も楽しくする工夫と、スタッフのプラスアルファをしっかりと応援する。成果が上がれば、しっかりとほめることです。そのうちに、スタッフも成長して、カッコイイ自分に惚れ、プラススパイラルにハマり、自立します。

次回は本を読まなくなったベトナム人若い世代について、弊社の取り組みを紹介したいと思います。