第5回 意見は今、ありません。
ベトナムでスタッフを指導している中で、課題に対して、意見を求めても「特に私は意見がありません」という返事は多くないですか?スタッフに対していつももう少し積極的であってほしいと思います。
弊社のスタッフの中で、頭がよくて、一目を置くスタッフがいました。そのスタッフに対して、意見を求めるたびに、「賛成です。意見がありません」という。ほんとうに大丈夫かとさらに聞くと、「何かありましたら、後で聞いて、何とかします」という決まり文句が返ってきます。どういうことかといつも悩んでいました。
それは何かというと「意見や考えが言える」環境作りです。
思えば、2004年頃、日本で仕事している時ですが私は貴重な経験をしています。内容こそ覚えていないのですが、以前日本にいた時に勤めていた会社で役員向け決裁稟議を書いたことがあります。結果については課長可決、部長可決、本部長まで可決されましたが、取締役の審議で取り下げされ、いきなり自分のところに戻ってきた時にすごく違和感を感じたのを現在でも鮮明に覚えています。その違和感とは自分ではなく直近で可決してくれた本部長に返すべきでしょ。と思ったからです。この件で、周囲の方に理由を聞いたところ、分かったことはまず稟議そのものは起案した人が自身で手掛けた作品として責任と誇りをもって扱うものだと教えられました。あくまでも各決裁者はこの作品の評価者であり、自分が先頭に立ちみんなと協力しながら良い作品を作り上げていくものなんだということです。それからは、案件につき各人に意見を求め、みんなで仕事を仕上げるのだという精神をもって物事すべてに取り組みました。ときには目上の方に意見を述べることもありました。
上記から、ベトナム人が意見を述べない理由は、そもそも一緒に物事を仕上げる考え方がないからではないでしょうか。その他に考えられる理由は下記のとおりです。
- 問題を深く理解していない(そもそも興味博、無関心)
- 起こり得るシナリオを想定できていない(想像力が弱い)
- 論理的な考えが弱い(日頃訓練していない)
とくに想像力がないところは大きなポイントだと思います。想像力がないため、事前にシナリオを想定できず、事前準備もできていない。だから、「問題が起きたら、聞いて、何とかする」という返事になります。
日本と違って、ベトナムの教育では卓上の教育のみで、クラブ活動はまったくありません(1975年前はあったと聞いています)。そのせいで何か物事をチームで仕上げていくプロセスは経験できない学生がほとんどです。それから、一方的な暗記中心の教育なので、論理的考えや想像力が身につく教育とは思えないわけです。従って、企業でチームワークや論理的考えや想像力を改めて再教育する必要があると感じています。
会社経営をしている自分もスタッフ教育しながら、大変だなとよく思いますが、長期的に教育が必要になるので、日々努力しています。
次号では「言い訳が多い病」について、考えたいと思います。