講演会レポート

講演会『社員の心のケアを考える』~6年半の壮絶なうつ病からの生還者が語る~

竹原さんのうつ病の発症は、大学卒業して入社した会社のハードワークが引き金となりました。ただ、真の原因を突き詰めると、竹原さんの幼少期からの家庭環境が大きく影響していたことがわかります。年子で生まれた弟を面倒見る両親の愛が、今まで自分に向けられていたのに全部弟に行ってしまった、と考えるところから始まります。
それはいつしか弟への憎しみ変わっていきます。更に進学の際、自分の志望校と親の考える学校の乖離。苦渋の決断で親の意見を受け入れ通った学校での鬱積。
それらが、積もり積もってハードワークの心身に決定的な致命傷を与えてしまった、と竹原さんは振り返ります。うつ病を発症してからは、順調だった仕事も休みがちになり医者からの処方される大量の薬を飲む生活が始ります。うつ病が更に進行して深刻な状態になると、会社には行けず一日中ベットで悶々とする生活なります。
荒廃した生活の中離婚も決断。自殺願望の最終段階を迎え絶壁に立った竹原さんが最後に下した決断が、自殺を後押しする相談に乗ってくれると思い探し出した人。
まさにその後の人生のキーマンとなる人、居酒屋てっぺんの大嶋啓介代表です。竹原さんの自殺願望を聞いた大嶋さんは、「自殺する前に知り合いの三人に会ってから、決行しなさいと」と諭します。講演では、竹原さんが会った3名とのいきさつが語られましたが、共通するのは「自殺なんてバカなことは辞めなさい!」
という説得の言葉ではなく、竹原さんが想像もできない心の中に飛び込んでくる魂の叫びでした。この3名から引き続き、さらに心を揺さぶられる何人かの出会いによって、竹原さんの心は、徐々に生命力を復活していきました。
 当日質問時間には、自身がうつ病を抱えている参加者の方の相談もあったりで、少し重い雰囲気にもなりましが、最後に竹原さんから語られた言葉に全参加者がほっとする雰囲気で講演会を終えることが出来ました。そのアドバイスが、もし同じ会社の回りにうつ病の方や、家族に少しその影がある人がいたら「大丈夫?」という疑問系の聞き方は、相手の不安な心を理解できていない悪い例である。
そうではなく「大丈夫。私があなたのそばにいますよ。安心してください」という「大丈夫」でなければいけません。
 やはり、辛い思いを経験された竹原さんならではのお話でした。

【竹原 義人氏 プロフィール】

【竹原 義人氏 プロフィール】
大学卒業の1997年、株式会社マルハンに入社。20年勤務。入社4ヶ月で管理職昇進という、昇進最短記録を樹立。
数々の業績不振パチンコ店舗の最新再生請負人となる。仕事の手腕をかわれ、様々な責任あるリーダーを務める等、
9年間で売上3,000億から売上2兆円企業への躍進に貢献。最終的に、全従業員13,500人の全社員教育研修リーダーを任される。
 しかし、あまりのハードワークがたたり、本来の自分を見失い、重度のうつ病を患う。その期間は6年半。
医師から大量の薬を処方されるが、効果なく2年間の休職。人生のどん底へ。ふとしたきっかけで出会った恩人との交友の中で、さまざまな奇跡的な出会いが生まれる。そうした人との出会いを機に病気の克服をすると同時に「人の命の輝きに火を灯す」ことに使命感を抱く。
2017年3月、その想いが抑えきれず、退職。現在では、「命の大切さ」をテーマに全国で講演を展開、
今年株式会社Cocoro fitを設立。

次回の講演会のご案内はこちら